町医者 松嶋大ブログ

岩手県盛岡市で「なないろのとびら診療所」を運営する町医者・松嶋大のブログです。

ブログを引っ越します。

数年来続けてきたこちらのブログですが、このたび、休止いたします。

 

今後は、noteにうつり、適宜、発信していきます。

 

町医者松嶋大のnoteはこちらから

↓ ↓ ↓

https://note.com/machi_isya

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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写真は、亡きばあちゃん。

何を話してたときだったかなぁ。

亡くなるちょっと前、お世話になった医療や介護チームのみんなとそばを食べに行ったときの写真でっす。

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亡きばあちゃんと。

 

人に、縁と、社会へと繋がる扉。

今日、とってもうれしい相談が届いた。

 

70代の方が、ぼくらの有償ボランティアチームに入りたいと。

理由を伺うと、それが最高で、本当にうれしかった。

 

「退職して人との繋がりが減ったので、また社会や人と繋がりたい」と。

 

この言葉(理由)に、ぼくがどれほど喜んでいるか、みなさんに伝わらないのが辛い。。

とにかく嬉しい。

やっとここまできたという感慨とともに、ここからが本当の始まりだという気合と。

 

 

とっさに、二つ思い出した。

 

過去も現在も構想の中核をなすコミュニティスペース(現おちゃのま)を創る決断をした物語のこと。

 

そして、2017年の夏、診療所を現在地に移転する際、スタッフ全員で新診療所のネーミングを考えていたときのこと。

 

 

前者。

とある特養で、とある超高齢女性を見送った際の、圧倒的な違和感。

 

 

診察の都度、デコレートされていく部屋。

とどめは、女性が着ていた(着させられていた)服。

 

誤解を恐れずいえば、介護や医療によるイベント化された死。

そして、社会との繋がりを事実上寸断された状況での死。

 

臨終の際、多くの人が涙する中、ぼくはその光景にただ呆然としていた。

申し訳ないが、すごく気持ち悪く、虚しい気持ちになった。

人が死ぬということはどういうことなのかと考えていたら、ぼくはこうであってはいけないのではないかと思った。

 

人というのは一人では生きていけず、やはり、人や社会と繋がり続けなければいけないと。

そういう繋がりや関係性の中で旅立ってゆくのが自然なのではないかと。

 

そのためには、現在の施設では不十分だと確信し、繋がり続けられるような仕組み、そして新たなコミュニティーが必要だといいう結論に至った。

 

 

後者。

新診療所名として、「なないろ」をつけることはぼくが決めた。

ただ、ちょっと足りない感じがしたので、全スタッフで話し合った。

なないろに何か続けたいが、何がいいだろうかと。

最終候補といて、「かぜ」と「とびら」が残った。

記憶が曖昧で、どうやって最終決定したか覚えていないのだが、「とびら」となった。

(この案をだしたのは、今や副所長の菊ちゃんである)

 

「なないろのとびら」

 

ぼくの中では、いまだに色褪せることがない最高の名前だ。

なないろのごとく輝く人々が、診療所というとびらを通じて社会とつながっていただきたい、そういう願いを込めている。

つまり、診療所は目的地ではなく、経由地なのだ。

ここから、さらに、社会へとつながっていただきたい。

豊かな人生へと。

 

 

話は戻って、今日頂いたご相談は、即断即決、「大歓迎」だ。

 

なないろのとびらを経て、人に、縁に、社会へとつながっていただくこと。

最高じゃないですか。

 

これからも、なないろのとびらを磨いていこう。

そして、とびらをもっと広くしよう。

 

 

 

〜オンラインサロンのご案内〜

総合診療をベースに、認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでいる、事象「患者バカ町医者」の松嶋大が、日々の実践をみなさんに共有し、またみなさんからも共有してもらいながら、これからの「医・食・住」を語り合うサロンです。

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つながること

 

奇跡的な必然。

【備忘録として】

 

1年半くらい前、その方に出会った。

独特のオーラを持ったその方とは、結局、あの日限りで、この日まで再会することはなかった。

 

ただ、その方は、何人かの患者さんをご紹介くださった。

「盛岡にいい先生がいるから、行ってみなさい」という内容だったとか。

光栄である。

 

わずか一度だけだったその方だが、独特なオーラがあったこともあり、私の脳裏にしっかり残っていた。

 

そんなあるとき、突如、メッセージが入った。

その方と同じお名前だったが、性別が違う。

 

メッセージ内容は、「親が深刻な病気で困っている」というご相談だった。

それよりも、お名前が同じことが気になったので、相談内容よりもまずは関係者かどうかをお聞きすると、お子様だということが分かった。

そして、親(その方)に頼まれて、ぼくに連絡しているのではなく、全くの偶然なのだと。

 

こんな偶然、いや奇跡的なことってありますか!

 

いやでも、これが現実なのだと思い直し、メッセージのやりとりをする。

なるほど、深刻だった。

 

お子様は出張中でご自宅にはいないとのことだったが、ぼくは、もう、いてもたってもいられなかった。

すぐに出向くことにした。

 

50キロ先だったが、そんなことは関係ない。

特別な方が、具合が悪く寝込んでいるのだから。

診察でも、往診ではない。

ある意味で、友人としての訪問だ。

 

1年半ぶりに再会したその方は、たしかに弱っていたが、独特のオーラは健在だった。

ゆっくりお話をした。

 

自宅で過ごし続けたいこと、そして、「自然の中で逝きたい」とおっしゃた。

今の希望はと伺うと、腹水をとっていくらでも楽になりたいと。

 

ぼくは一応医者だから、抜こうとおもえば、そこでも抜けたが、CARTという方法が妥当と思い、かかりつけの大病院に入院することを提案した。

 

そこで、翌日、その病院に電話した。

今、思い返しても奇妙な電話だった。

ぼくは、その時点で主治医でなかったから、先方には「医者だけれども友人として電話をしています」と伝えた。

とにかく、訴えた。

心から訴えた。

 

腹水を抜いてほしいのだと。

少しでも苦しみをとってほしい。

今日にでも入院させてくれと。

友人としてのお願いです、と。

 

幸いにすぐに入院させてもらえた。

ほっとした。

 

数日後、退院された。

そして、晴れて、ぼくは主治医となった。

光栄だった。

約束を守ろうとあらためて思った。

 

「自然の中で逝きたい」

 

それまで不在だった、ご家族と初対面を果たした。

素晴らしいご家族だった。

このご家族のためにも、最大級の力を発揮しようと心に誓った。

 

病状は一進一退も、圧倒的な力で押してくる病魔に防戦一方だった。

すべての医師が諦める局面だろうし、ぼくも医者だからその状況はいたいほど理解していた。

 

もちろん、本人は諦めていないし、家族も希望を持ち続ける。

ぼくも一人の人間として、あきらめるつもりはなかった。

やれることはしっかりやろう。

 

また腹水がたまった。

在宅でCARTで抜こうかと考えた。

しかし、よく勉強すると、CARTでは不十分で、KM-CARTでなければ難しいことが分かった。

そして、その術式が可能な施設は東北では青森だけ。。

あるいは東京。

 

そこまでいく体力は残っていなかった。

無念というか、悔しいというか、申し訳なさでいっぱいだった。

ぼくに、その知識と技術があれば、その方をいくらでも助けられるにと思うと、腹立たしい気持ちが止まらなかった。

情けない医者だ。

 

その後、緩和ケアと治療方針について、本人と家族とも複数回語り合った。

 

ぼくは、この語り合い中、一貫して揺れ続けた。

一人の医者として、一人の人間として。

カラダへの影響として、こころへの影響として。

 

決して、二元論として語るべきではないことばかりの世界で、こと終末期において、二元論的に選択肢を定めて、決断をしなければいけない局面は少なくない。

単なる医者に過ぎないぼくには、医学的な最適解は持っていたとしても、社会的や物語的な要素までも丸ごと含めた総体としての最適解までは持ちえてない。

だからこそ、本人と、ご家族と、徹底的に語り合うほかない。

個人にとって、ぼくらにとって最善とは何かを。

 

徹底的に語り合ったが、最期まで答えはでなかった。

 

臨終の確認ののち、その方との出会いから最期までのことを、ぼくの物語を家族に伝えた。

涙なく、ある意味で淡々と。

 

最後、立ち上がり、さあ帰ろうというとき、最後の挨拶をすることにした。

ぼくの知識と技術の不足で十分に助けられなかったことをお詫びした。

そして、新たなこと(とくにKM-CART)をしっかり学び、次の患者さんを助けることで、その方に報うしかない情けないぼくを許してほしいと。

 

ずっと涙を我慢していたのに、ここで涙があふれた。

申し訳ないが、悔し涙だった。

 

玄関を出て、車に乗り込む際、ご家族一人ひとりと握手をしハグをした。

 

そして、空を見上げた。

自然の中で往きたいと願ったその方らしく、透き通る青空に、美しい白の雲がそこにあった。

ぼくが、空を見上げる都度、その方にまた出会える。

そして、この青空と雲が、ぼくがその方に誓った責務(次の患者を助けること)をちゃんと果たすかどうか、証人となるだろう。

空を見上げる都度、襟を正すことになる。

 

そうそう、なぜ、一年半前に、ぼくがその方と出会うことになったのか、そしてその前後のことを、ご家族に教えていただいた。

ぼくと出会った後、その方はとっても喜んでいらっしゃったことを伺った。

なるほど、それで理解できた。

なぜ、ぼくが、今回主治医として立候補したのか。

50キロを超えてやってきて、主治医として努めたいと思った理由。

ぼくは、ぼくの力を必要としている方に、いつでも最善を届けたいと思ってるから。

 

奇跡的だとおもった再会のきっかけは、やっぱり必然だったのだ。

 

奇跡的な必然である。

 

最後の主治医に指名してくださり、感謝いたします。

また、空を見上げたときにお会いいたしましょう。

 

 

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この空が証人だ

 

一目惚れか、時間依存性か。

恋愛の話ではないけれども、ある意味で恋愛と同じかもしれない。

 

患者さんに対してである。

 

一目惚れか、時間依存性か。

ぼくは圧倒的に前者である。

つまり、一目惚れ。

 

ぼくの場合、少々偉そうだけれども、出会う前にいくつもの壁がある。

 

まずもって、診療所を見つけられない。

広告も出していないし、看板もほぼない。

(近所の人ですら、ここに診療所があるということを知らないほど)

 

そして、ぼくが胡散臭い。

一体全体何の医者なんだという。

表に出て話すわけでもないし。

総合診療もまだまだ市民権も得ていないし、認知症もみたり、心療内科もみたり、何者という感じ。

 

それに、外来診察時間がかなり限定されている。

初回は1,2時間も話すので、そうそう簡単に予約をとれない。。

 

極めつけは、わざわざ連絡をいただいても、内容をお聞きの上、たいがい、他の医療機関をお勧めしたりする。

 

こんな壁もあって、やっと出会った方々です。

かなりの確率で、一目惚れです。

 

付き合った時間は関係なし。

一瞬で愛情がピークに達して、ピークがずっと維持し続ける。

長く付き合って、つまり時間依存性的にその方への愛情が深まっていくということではない。

 

 

さて、今日は、そんな一目惚れの相手が体調が悪いというので、50キロ先に往診してきた。

なぜ、そこまでするのか、とよく言われるが、一目惚れしたからとしか言えない。

 

似たようなことはいつも言われる。

なぜ、お医者さんが葬儀に参列?

なぜ、お医者さんが葬儀で弔事?

 

なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。。。

 

医者がやっては、なぜ、いけないのか。

むしろ、その理由が知りたい。

 

 

だって、シンプルじゃないか。

一目惚れした相手に尽くすのは。

それが男女の恋愛なのか、患者・意思関係なのかの違いだけだ。

 

一目惚れだから、刹那的な感情で動いているのだ。

おっと行かなければいけないとか、参加しなければいけないとか。

理屈よりも、感情が先だ。

 

 

時間依存性だったら、きっと、そうはいきませんな。

 

 

 

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一目惚れ♡

 

 

「おたくさん」

大好きな患者さんが、やっと、退院してきた。

 

2ヶ月近く前に、泣く泣く送り出した患者さん。

治すことが医師の唯一の役割であると信じるぼくとしては、確率を考えて、入院治療が最善と思えば躊躇なく入院を選択する。 

とはいえ、入院の選択は、いつでも辛いし、寂しいし、悲しい。

下手すると永遠の別れになるかもしれないから。

だから、「元気に帰ってきてね」と祈りながら病院に送り出す。

 

祈りが通じたか、無事、戻っていらっしゃった。

ホント、良かった。

 

なんとなく落ち着いたというのは、1ヶ月ほど前(入院から1ヶ月ほどたって)からずっと耳にはいっていた。

だから、「早く退院してきて」とラブコールを送り続けていた。

こんなことを言ったら怒られるし、誤解されるかもしれないけど、入院で本当の急場をしのいでいただければ、多少であればあとは在宅で良くするからと思っているので。

むしろ、入院が長引くことで、失うものの大きさを理解しているつもりでして。。

 

さて、プロセスはともかくとして、退院してきてくださり安堵。

さあ、またご一緒しましょう。

 

ところで、なぜ、この方を「大好きな患者さん」というのか、実は、案外単純な理由である。

 

ぼくのことを、「先生」ではなく「おたくさん」と呼んでくださるから。

「おたくさんはいいわね〜、いつも若々しくて」と超満面の笑みでおっしゃってくださるんですよ。

まさに、普通の患者・医師関係を超えてるんじゃないかと思って、超嬉しくて、だから大好きで。

 

 

ところで、この写真。

まずまず近所にある野球グラウンド。

向こうに小さく人がみえると思いますが、ついさっき前でキャッチボールをしていた感じ。

ぼくも野球少年だったんですが、野球って、日本では、本当に日常化していると思うんです。

野球人口は減ったとはいえ、高校野球人気は根強く、プロ野球ファンも多い。

子供から大人までいろいろなチームが存在し、多くの人がさまざまな形で野球を楽しんでます。

ぼくなんかは、こうやって、グラウンドで野球を楽しんでいる人の姿を見るだけで癒やされるほどです。

 

つまり、野球って、日本や日本人にとって、日常的で大衆化された存在だなと。

 

医療もそうなればいいなと。

医療の大衆化。

そうなったら、患者・医師関係なんて、今よりずっと曖昧になるんじゃないでしょうか。

すっかり大衆化したら、ぼくなんか、町医者と自認するのも取り下げて、医療にやたらに詳しいおっさんとして、地域にさらに混ざり込みたいところですね。

 

それこそ「おたくさん」と呼ばれまくりですよ、きっと。

 

 

 

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野球のグランド

 

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mail: info@kotonoha-group.co.jp


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★オーナーの松嶋について

 

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岩手山とオークフィールド八幡平

 

ぼくは救うことはできても、支えも、癒やしもできない単なる医者だ。

ぼくは単なる医者に過ぎない。

主な仕事は、診断をつけて、適切な薬を出したり処置をしたり。

その結果として、患者さんを救う。

これに尽きる。

 

本当は、支えになりたいし、癒やしも提供できたら、どんなにいいだろうなと思う。

が、そんなことは、単なる医者に過ぎないぼくには、到底できない。

重々、理解している。

 

前置きが長くなった。

仲間が難しい病気になった。

仲間バカなぼくは、当然、医師として、少しでも救うことに集中している。

 

でも、救うだけでは十分ではないのだ。

本当に良くなるためには、支えは欠かせないし、癒やしも必要。

 

どうしたら、仲間が希望を持ち続けられるだろうか。

そして、少しでもよくなるだろうか。

 

そんなとき、もう一人の仲間がこぼした。

その仲間のために、ピアノを弾いてあげる約束をしているという。

なるほど、それだ。

じゃあ、ピアノのコンサートをやろう。

 

仲間が仲間と約束していたことを、その仲間(ぼく)が助太刀する。

悪くない話だ。

 

 

ややこしくなるので、病気を患った仲間を仲間A、ピアノを弾く仲間を仲間Bとしよう。

 

 

仲間Bに相談する。

どこでピアノを弾きたいかと。

しょうもないことを言う。

コストのこととか、現実的な目線で。

馬鹿言うな、と叱咤する。

 

 

話は脇道にそれるが、ぼくは野球少年だた。

もし死ぬとなったら、甲子園の土をやっぱり踏んでみたいし、できればマウンドから投げてみたい。

 

 

仲間Bに、どうなんだと聞いた。

そう考えれば、小さいホールじゃないだろと。

某大ホールの、一千万円以上するピアノに狙いを定めた。

無事予約が取れた。

 

 

そして、本番。

ほぼ誰にも口外せず、秘密裏に準備を進めて本番を迎えた。

何も知らされていない仲間Aは促されるように大ホールに連れて行かれた。

大ホールに入っても、相変わらず現実を理解できずにいたらしい。

そして、仲間Bが舞台に入り、演奏会が始まって、その意味に気づいたのだろう。

 

聴衆は、わずか10名前後。

仲間Bのお弟子さんが多数で、その他は3,4名。

コンサート時間も30分ほど。

 

ちなみに、申し訳なかったが、チームメンバーには全く伝えなかった。

なぜか?

仲間軽視ではなく、ただ、違うと思ったから。

 

 

ぼくは舞台袖で見届けるつもりでいた。

が、ある意味で予想通り、その場に行くことはできなかった。

外来が終わらず、外来診療に集中していたから。

 

こんな大事なときに駆けつけないことに首をかしげる人がいるかもしれない。

診療をずらしてでも、仲間のためにかけつけるべきだろうと。

でも、ぼくは違うと思う。

繰り返すが、ぼくは単なる医者だ。

救うことしか能がない。

であるならば、ぼくはぼくで目の前の患者さんに集中する。

これが、仲間への報いになるのではと思った。

他の診療をよけてでも駆けつけても、仲間Aは喜ばないはずだとおもったから。

支えや、癒やしは、他の仲間だったり、今回で言えば仲間Bがしっかり成し遂げてくれたから、それでいいのだ。

 

 

たった一人の仲間のために、わずか十名前後の聴衆のために、大ホールを貸し切るという行動に出たぼくを褒めてもらいたいという意図は、全くない。

この行動は計画的ではないし、全くの刹那的な衝動に過ぎないからだ。

もし褒めてくださる人がいたとしたら、この衝動をおこさせた、仲間Aとぼくの関係性に着目いただきたい。

全くの衝動だ。

 

 

繰り返すが、ぼくは単なる医者だ。

救うことはできても、支えも、癒やしもできない。

この事実を受け止めて、今後も前進したい。

そして、支えや癒やしを提供できる仲間たちと協働して前進したい。

 

 

あくまで、一つの物語として、また備忘録として、このコンサートを共有しておきたいと思います。

 

 

 

【謝辞】

仲間Aを支え、癒やすために、仲間Bは心から、そして深く努力してくださった。

そして、数名の心の友たちが、当日、全くのボランティアでコンサートを支えてくれた。

ぼくの思いつきで始まり、終えたこの企画を応援してくれた方に、心から感謝いたします。

ありがとうございました。

 

 

 

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大ホールと、仲間と、ピアノと。